格納庫赤いイルカが羽休め
続いて格納庫に行ってみましょう。
格納庫にはT-4練習機が展示されていて間近で見られます。
ジェットエンジン。意外と小さく、これだけの大きさで、よくあれほどのスピードが出るものです。
機体ももちろんですが、屋根の骨格も美しく、技術の賜物と言った感があります。
航空祭、まだまだ続きそうです。
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続いて格納庫に行ってみましょう。
格納庫にはT-4練習機が展示されていて間近で見られます。
ジェットエンジン。意外と小さく、これだけの大きさで、よくあれほどのスピードが出るものです。
機体ももちろんですが、屋根の骨格も美しく、技術の賜物と言った感があります。
航空祭、まだまだ続きそうです。
航空祭の花形はやはりパイロットですが、整備士達も負けず劣らず大活躍します。
オープニングフライトを終えた救難捜索機U-125Aを待つ整備士。後ろ姿に惚れてしまうぜ。
機材がやってきた。
停止すると直ぐに点検を始めます。
しばらくすると給油。いつでも飛び立てるよう満タンにしておくのでしょう。
一通り整備を終えたらけん引。
所定の場所に駐機させ「おつかれさん」の声が聞こえてきそうです。
一方こちらは二度目のフライトを終えたT-4練習機。
パイロットが手を振って帰ってきます。
駐機するとパイロットから整備士に引き継ぎ。
直ちに点検にかかります。
給油も順次行われていきます。
このように普段は縁の下の力持ちの整備士達も主役になる航空祭でした。つづく・・・
【11月22日(日)】
この日は芦屋航空基地で航空祭が開かれるとのこと。芦屋といっても兵庫県の高級住宅地の芦屋ではありません。北九州のお隣にある芦屋です。
実は昨年もこの航空祭を聞きつけて駆け付けたのですが、駐車場が満杯で、駐車場にさえ入れなくてあきらめて帰ったのでした。
今年は去年の混雑に懲りて、JRで遠賀川駅まで行き、そこからシャトルバスで行く計画です。
JRに乗っていると車両にはカーキー色のジャンパー着た見るからに「ミリオタ」(ミリタリーおたく)がちらほら乗っています。
JR遠賀川駅からシャトルバスに乗って芦屋基地へ。バス停は長蛇の列。(後でわかったことだが、これで長蛇と言ってはいけない。帰りはもっともっともっと・・・すごかった)
約20分ほどで芦屋基地に到着。普段は入れない空間に入れてわくわくそわそわ。お土産品とかを物色。自衛隊限定の饅頭?とかお菓子?もあるのですね。舞鶴にもあったのでしょうか。
トイレは完備、位置を確認。時刻は8時過ぎ、もうオープニングフライトが始まっているはずなのですが、やけに静かです。
しばらくすると場内アナウンスがあり、オープニングフライトが始まるとのこと。遠くから飛行機が3機飛んできました。
先頭に救難捜索機U-125A、両サイドに練習機T-4。
08:40、練習機T-4の飛行展示が始まりました。全部で7機のT-4が滑走路に向かいます。
パイロット、手を振っています。
まず2機飛び立ち・・・
続いてまた2機・・・
そして3機が・・・
飛び立っていきました。
しばらくすると先ほど飛び立ったT-4が帰ってきました。
奇麗に整列して「あっ」という間に去っていきます。
今度はこっちから3機。
周りの観客は航空無線を聴きながら状況把握。ミリオタは男に限らず女性ミリオタもたくさんいました。
今度ははるか彼方からきれいなV字型を作り・・・
高速で飛ぶジェット機が寸分狂わない隊形を保っています。お見事!
あっという間に彼方へ飛んでいきました。
と思ったら折り返してきて、またこちらに向かってきます。写真ではよくわかりませんが、ライトを同期させて点滅させていました。
これらの練習機は機体が赤いことから「レッドドルフィンズ」と呼ばれているそうです。
展示訓練もそろそろ終盤。一機一機と隊列から離脱していきます。その名の通り、イルカのように飛び跳ねているようです。
たくさんの観客が見守る中着陸態勢。
無事着陸。
7機は待機場所で待ち合わせ、一列になって駐機場に戻ってきました。
等間隔に並んでいる赤いイルカ達。訓練の開始から終わりまで、一糸乱れぬ美しさでした。
続く・・・
フィルムカメラは最近ジャンク扱いで破格の値段(タダ同然)で売られています。そんなカメラで撮った阿蘇山と草千里、なかなかいいです。
9月に噴火して立ち入りが制限されている阿蘇山、草千里までは行けました。ああ、懐かしの草千里。
【11月8日(日)】
北九州に越してからなぜかサッカーの試合に時々駆けつけるくわ夫妻。ここ北九州はJ2リーグのギラヴァンツというチームがありますが、いままで三回応援に来て、なぜか三回とも負けてしまってます。ギラヴァンツにとっては死神のようなくわ夫妻、迷惑かなと思いながらもまたまた応援に駆け付けました。
やってきました、本城陸上競技場。おやおや、今までとピッチの見え方が違います。そう、今回はA席。いやいや、奮発したのではありません、招待券が当たったのです。天気が悪いですが、せっかくなので雨でも駆け付けました。
今までのB席からではわからなかったのですが、試合前、いろいろなイベントが行われているのですね。
応援団はこの通り。対戦相手はこのときJ2最下位の栃木。ギラヴァンツの応援団は方言を使った品の悪い応援をしたとかでやや自粛ムード。およそ方言というものはどの地方でも品がなく聞こえるもの、そんなこと気にしていたら方言自体しゃべれなくなります。(大阪なんかどないなるねん)
選手入場。
キックインセレモニー。こんなのもしていたのですね。B席からだったら何してるのか、全然わかりませんでした。
へぇ、こんな記念撮影もしていたのかぁ。
16時、キックオフ。今のところ雨は止んでいます。
栃木ゴールを狙うがなかなか入らず。
前半38分にゴールを決められる。やはりくわ夫妻が行くと負けるのか、ギラヴァンツ。
0-1で前半終了、暗雲が立ち込めるギラヴァンツ応援団。北九州名物、工場の煙突から出る煙も暗い。
雨が激しくなる中、後半戦。後半11分にギラヴァンツ1点を返し1-1。しかし、その13分後に1点返され1-2。
転倒者も続出。
もうアディショナルタイム。もう残り時間がない、万事休すか・・・
と思われたそのとき、25番、小松塁が頭で押し込んだ。と同時にホイッスル。2-2の引き分けで終わったのでした。
もう観客は大喜び。引き分けでしたが最後のゴールが劇的でした。
負けはしませんでしたが、それにしても、やっぱりくわ夫妻が行くと勝てん。なんででしょう。
この佐賀インターナショナルバルーンフェスタ、参加気球は全部で130機ほどあるそうで、このキー・グラブ・レースには80機ほど参加していました。次から次へと色とりどりの気球がやってくる光景は圧巻です。
気球はバーナーの火加減で上下しますが、結構早いスピードで上下します。急降下してきたと思ったら・・・あっというまに空高く登って行きます。
会場にはややシーズンが終わりかけたコスモスも咲いていました。
陽は西に傾き間もなく日の入り。空には夕焼けの気配。このキー・グラブ・レースは17時までに離陸すること、となっていますが、もう各機諦めてしまったようで、最後の気球が飛んでいきました。
着陸した気球たちは車に収容され、またこの会場に戻ってきます。
そして、最終日のイベント、夜間係留(ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン)の準備が始まりますが・・・なかなか始まりません。会場に座っている私たちには全然分からなかったのですが、風が強いとのことで、気球を膨らませることができないそうです。その代わり・・・
夜間係留はバーナーバージョンに変更して行われました。本当は、この状態で気球が膨らみ夜空に炎の光で幻想的に照らし出される気球が見られるはずだったのですが残念です。
会場では音楽が演奏され曲に合わせて炎も踊ります。
風が強いといっても、私たちの感覚ではそよ風だったのですが、大きい気球を地上に止めておくと気球がかなり傾くようでした。
さてさて、一番の問題は帰りです。JRの臨時駅・バルーンさが駅に向かいますが、駅まですごい長蛇の列(600m)。駅に入れても臨時駅なのでホームも狭い、そんな人があふれるようなホームを特急列車が通過していきます。
ようやくやってきた電車に乗り込んでもすし詰め状態。前から思っているのですが、九州の人はこの様な混雑した状態の電車に乗った経験がないのか、荷物を棚にあげるとかせず、リュックを背負ったままの人が多く混雑に輪をかけます。ま、祝日の最終日、仕方ありません。このイベントは平日に来るに限ります。
ふわふわ飛んでいる気球を見ていたら、オーストラリアで乗り損なった気球にまた乗りたくなってきました。
【11月3日(火)】
文化の日、晴れの特異日といわれています。10月30日からこの日まで、佐賀でインターナショナルバルーンフェスタというイベントが行われているとのことで、マラソンの後遺症が残る中出かけてみました。ホームページなどを見るとすごい人でだそうで、車は大渋滞するらしいので北九州からJRで2時間半かけて行きましょう。期間中は臨時駅も開設され、JRでのアクセスは非常にいい会場です。
駅を降りると早速バルーンがお出迎え。バルーンとは熱気球のことです。よく見ると宇宙がビックバンで誕生するときの形に似ています。(誰もそれを見たことはないと思うが・・・)
公式競技はこの日の午前中に終了してました。午後からはキー・グラブ・レースという会場にセットされた巨大なカギをつかむ競技が行われました。会場から1km以上離れたところからフワッと浮かび、風を読んでこの会場に近づいてきます。
ほとんど風が吹いていないような状態ですが、さすがベテランパイロットたち、徐々に接近してきます。
しかし、この気球、推進器とか舵もなく、ただ風向きだけで進むのですが、ほとんどの気球は会場に向かって飛んできます。
ただ、ピンポイントでキーを取るのは難しいようで、ほとんどの気球は通り過ぎて行ってしまいました。このクルーはあきらめモードで観客に手を振っています。
そんな中、この気球は見事、緑のキーを取ることに成功。風だけで飛んでくるのに、すごい操縦技術です。結局、全部で3機、キーを取ることに成功していました。
キーを取りそこなった気球は川下の方に飛んでいきました。離陸は田んぼとかから上がるそうですが、着陸はどうするのでしょうかね。近くにはJRの線路とか高圧送電線とか、道路も縦横無尽に走っているし・・・キーを取ることより着陸の方が難しいのではないでしょうか。
続く・・・
【11月1日(日)】
今から20年以上も前は今のようなマラソンブームではなく、42kmも走る人は○○ガイ扱いされていました。そんな中でもコツコツと練習を重ね、何度かフルマラソンを走りましたが、段々練習時間も取れなくなり、大会からは遠ざかっていました。
時は変わりなぜか今は空前のマラソンブーム。老いも若きも、男も女も、あのとき○○ガイ扱いしていた人まで今は走っています。そんなブームを受けて各地でマラソン大会が開催されていますが、久々にマラソン大会にでも出てみるか、と思っても抽選で、しかもすごい倍率だったりでなかなか参加できません。
北九州のお隣、下関でも「下関海響マラソン」が開催されるとの情報を見つけ、いろいろと調べてみると、この大会申し込みは早い者勝ちだそうで、申し込み当日を待ったのでした。
五月の申し込み当日、エントリー受付開始時間にホームページを開くと「混雑していますのでしばらくお待ちください」のメッセージ。何度か繰り返し、開始1時間後くらいにようやくエントリーできました。なんでもこの日は1時間18分後に定員いっぱいになったとかでエントリーが締め切られたそうです。
エントリーしたものの、股関節の痛みで十分な練習ができませんでしたが、9月に入ったころから練習を再開。股関節に不安を抱きながらも距離を伸ばしていきました。しかし、20kmも走ると今度はひざが痛く、この痛みで倍の距離を走るのは不可能では、と思われる状況で、昨日の大会当日を迎えたのでした。
やってきました、下関。この日はこのマラソン大会のため小倉から臨時列車が運行されました。
駅前の下関海響マラソンの幟の前で記念撮影。海「峡」ではありません。海「響」です。
スタート地点の海峡メッセ下関。
最近のマラソン大会は大分変ってきて、以前は受付でナンバーカードとプログラムなどをもらいましたが、この大会は受付というものはありません。事前に送られてきたナンバーカードとランナーズチップ(タイムを計測する装置)を靴に取り付け出発を待ちます。
今回のゲストランナーは、下関出身の元ジャイアンツの宮本選手、あの幻の芸人、波田陽区(下関出身)、下関とは縁もゆかりもない猫ひろし、そしてあの世界一周ランナーの間寛平。
スタート前、これらのゲストランナーからコメントがあるのですが、波田陽区や猫ひろしは相変わらずでしたが、さすが世界一周のランナー間寛平、スタート待ちの1万人のランナーを大爆笑で盛り上げてくれました。
8時半、号砲と花火の音とともにスタートです。完走できるかどうか、ぎりぎりの体調だったのでスマホなどは持たずに走ったのでレース中の写真はありません。
大爆笑でランナーを和ませた寛平ちゃんはフルには出場せず、2kmのレースの参加でした。(ゆう撮影)
コースは下関の長府の方に上がりそこで折り返し再び出発地点付近に戻ってきます。この写真は16km付近。この辺りはまだまだ快調でした。
ところが20km過ぎたあたりからやはりヒザが痛くなってきました。それに前半は平たんなコースだったのに後半はすごいアップダウン、上りはいいのですが下りではかなりヒザが痛くなります。
25km過ぎ、もう少しで折り返し地点なのですが、遠い遠い。長い橋の先に折り返し地点が見えているらしいのですが、眼鏡を外しているのでよくわかりません。このあたりは本当にきつかったです。
30kmを過ぎるとまた上り、歩いたら完走できないと思っていたのでスロージョグペースで走りますが、歩く人とほとんど同じスピードです。けどあと10kmくらいと先が見えてきたので気分的には楽になれます。
35km、マラソンは35km過ぎに魔物がいると言われていますが、すでに魔物に襲われた状態です。が、上りが幸いしたのか、ひざの痛みが消えてくるではありませんか。えいっ!、ここからロングスパートだと加速すると意外と快調に走れます。その先の下りもひざの痛みは全く消えてしまいました。
そのままのペースで無事ゴール、タイムは・・・おや、5時間を切っているではありませんか。しかも5kmのラップは35~40kmが一番早くなっていました。35kmからは1,000人抜いていました。
今までのマラソンは35kmからエネルギー枯渇状態に襲われて意識はあるのですが体が動かない状態でした。それが今回は35kmからランナーズハイ状態になり、気分よくゴールできました。25kmからヒザが痛くなりスピードが上げられなかったのが幸いしたようです。
それでもゴール直後、というより10分くらいしてから立ってるものきつくなってきました。更衣室に戻りとりあえず座ろうとしますが、ひざの痛みが復活しひざが曲げられません。倒れこむようにして座り込み靴を脱ぐとああ極楽極楽。着替えを済ませ外に出て、この下関名物「ふく鍋」をいただきました。ああうまい。レース中、バナナやアンパンなどを食べましたがほとんど空腹のお腹にしみわたりました。あまりにもおいしかったので写真を撮るのを忘れてしまいました。
そのあとステージではゲストランナーのトークショーが行われました。やっぱり寛平ちゃんはおもろい。わざわざ面白いことを言わなくても、面白い空気を持っているのですよね。右端の波田陽区は相変わらずです。
最後に記念撮影をして足を引きずりながら会場を後にしました。いつもは身障者のゆうを介助する側ですが、ゆうの後をヨタヨタと帰ったのでした。
この大会のコースです。一見平たんそうに見えますが・・・
後半はすごいアップダウンに悩まされますが、上りではひざの負担が少なくなるので、アップダウンをうまく活用できれば楽に走れます。
それにしてもマラソンという競技、最後の2.195kmがホント余計ですよね。たった2キロなのですが40キロ走った後にはとてつもなく長い距離に思えてきます。ただの40キロレースなら、もう少し気分的に楽になれると思うのは私だけでしょうか。
ま、何はともあれ私ももう人間ドックの結果には再検査の文字が連なっていますが、フルマラソンが走れる体があることに感謝しましょう。
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